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【前回からの続き】
解熱し、回復してきた次男とは裏腹に、「ヒトパレコウイルス」の症状に苦しむ私。無事、一般病室に戻れた次男と、付き添いの主人を待ち受けていたのは・・・。

【ヒトパレコウイルス闘病記3】はこちら↓

地獄の夜

5日目の夜~6日目の朝にかけて、私が発熱したので主人が付き添いをしてくれました。

少しずつ回復してきた次男。

最後まで残っていたのは、ヘルペス予防薬の点滴でしたが、ヘルペスの感染を調べる検査の結果が陰性だったので、その点滴も抜いてもらえることになりました。

点滴や血圧・脈を測る機械のコードが取れて、ようやく入院前の身軽な状態になった次男。

発熱中は、あまり母乳が飲めなかったので、点滴で栄養をいれてもらっていましたが、その点滴も必要なくなったので、ミルクを欲しがる回数が増えました。

搾乳して頻繁に母乳を持って行ってましたが、足りないからか、かなりぐずりがひどかったそうです。
「キーーーーー!!キーーーーーーー!!!」と、高音で泣く次男。

うとうとしかけたと思ったら、すぐに目覚めて泣いて、またうとうとするけど、目覚めて泣いての繰り返し。
ミルクも足してもらったけれど、一気には飲めず・・・。

主人はほとんど眠れず。大部屋だったのでうるさくするわけにもいかず、フリースペースでずっと抱っこしてあやしてくれたそうです。

「これほど、男でも母乳が出たらいいのにと思ったのは、初めてだ」

帰宅後、げっそりしながら、こう言っていました。

6日目

私も長男も、回復して解熱しました。

次男の状態も落ち着いていて、「翌日、退院できます。」と言ってもらえました。

最後一日、主人にはもうひと頑張りで、更に一泊してもらいました。

「回復期(発熱なし)の病棟」の弱ってしまった子どもたちの中に、別のウイルスを持ち込むリスクを減らすということで、私は面会のみ許可してもらいましたが、泊りでの付き添いは、病院から断られてしまったのでした。

なので、最後の晩も、搾乳した母乳を持っていき、次男は、それを解凍してもらったものを哺乳瓶で飲んでいました。

しかし、一回の量が飲みきれずに余るのに、少ししたらまた欲しがって泣き叫ぶ・・・・ということが夜中ずっと続いたそうです。

ようやく帰ってきた!!!

地獄の夜(2日目)が終わり、次男が帰宅できることになりました。

朝、私が迎えに行き、主人はそのまま仕事へ行きました。本当に大変だったと思います。
この時のことは、今でもずっと感謝しています。

久しぶりに、元気な次男を抱っこすることができ、心の底から安心しました。

本当に、先生方には丁寧に診察して処置していただきました。
看護師さんたちにも、心配する私たちに寄り添った言葉かけをしていただきました。
そして、不慣れな入院生活が、少しでも快適になるようにと、いろいろな配慮を感じました。

その後・・・・

退院して3日後に再度、通院で症状を見てもらいました。

高熱が出たので、血小板の数値が高い状態が続いており、一週間後に再検査が決定。

一週間後も、数値の改善が見られず、一か月後に再検査をすることに。

一か月後の再検査でも、数値の改善が見られず、更にIL-2レセプターという数値が高いので、もう一か月、経過観察が必要といわれました。

このころに、入院中に検査をした「ヒトパレコウイルス感染症」の検査結果が出て、やはり陽性ということで、次男の感染したウイルスは「ヒトパレコウイルス」であると確定しました。

更に一か月後。異常を示していた血液の数値が、全て正常範囲内になり、ようやく次男の「ヒトパレコウイルス感染症」との闘いは終わりました。

その後の地域の定期健診で、後遺症と思われる症状を指摘されることもなく、元気すぎるほど元気に育っています。

その時は「どうなるんだろう」と思うような、本当に不安な毎日でした。
先生を信じて、徹底的に調べてもらって、わからないことはきちんと聞きながら、不安を乗り越えていきました。

私もたくさん泣いたり、熱を出したりしましたが、家族4人、健康に一緒に暮らせていることに感謝したいと思いました。

怒涛の闘病生活。完