【前回の続き】
次男の入院が決定しました。主人に入院の準備を持ってきてもらい、顔を見た瞬間、緊張の糸が切れて号泣する私。次男は回復していくのでしょうか・・・?
【ヒトパレコウイルス闘病記1】はこちら↓
授乳量と排泄量のチェック
入院してベッドに次男を寝かせ、ようやくほっとしたけれど、依然として次男の手足は冷たくて、チアノーゼも出ている状態でした。
足や腕には、脈拍・血圧・酸素濃度を測る機械とつながったコードがいくつもつけてありました。いろいろな薬を点滴で入れてもらっていましたが、うなり声は治まりませんでした。
看護師さんが赤ちゃん用の体重計をもってきました。
「授乳前と、授乳後の体重を測って、どれくらい飲んだか調べてください。」
と言われました。
生まれてすぐの赤ちゃんが授乳するときに、産院でもしたことがあったので、慣れてはいますが、少し大きくなったのと、点滴やらいろいろなコードが邪魔で、毎回の測定が大変でした。
さらに、おむつを替えたら、おむつの重さも測って排泄量を調べるように言われました。
夜中の授乳でも、毎回記録を取りました。
☆入院中、腕に抱っこして授乳するのは、狭いベッドの上では辛かったので、授乳クッションを持ってきてもらいました。
家と同じような環境で授乳すると、赤ちゃんも安心するようです。
授乳クッション、必須です!!
家にあったのが「抱き枕にもなるタイプ」のものだったのですが、これは授乳が終わったら自分も抱き枕として使えるし、スナップボタンで留められるので、必要ない時はハンガーなどで吊るしておけて便利でした!
まだコロナ前だったので
その当時、まだ新型コロナウイルスが流行する前だったので、両親が付き添いを交代することや、シャワーや食事の時間、代わってもらうことができました。
日々の授乳での寝不足と、昨日早朝からのドタバタで、完全に疲労MAXの私。
夜中も次男のうなり声は止まらず。
心配であまり寝られませんでした。
病院は、基本的には入院患者の食事の提供だけで、付き添いの親の分の食事は自力で調達しなければなりません。
主人や母に差し入れしてもらって食べましたが、何を食べているのやら。
大部屋だったので部屋で食べられず、食事の間、子どもを母や主人に見てもらいました。
2か月の息子は母乳なので、食事も無し。
いつもよりも母乳を飲む量はだいぶ少なくなっていました。
検査結果
2日目の夕方。ようやく髄膜炎の検査結果が出ました。
結果、『異状なし』
とりあえず一安心しました。
担当の先生が病室へ来て、
「ウイルスに感染しています。
症状としては一過性ですが、重篤になりやすいウイルスの可能性があるので、呼吸と血圧の管理をしていきます。
4~5日ほど、ICUに入院していただきます。」
と言われました。
この段階で、感染しているのは細菌ではなくウイルスであるということ、周りの感染状況を考えると『ヒトパレコウイルス』である可能性が高いことが伝えられました。
しかし、「確定ではなくて、さらに検査をしないとわからない。」
「検査の結果が出るのは、症状が落ち着いてからになる可能性が高い。」
ということでした。
けれど、息子をこんなに苦しめているウイルスの正体を知りたくて、検査をお願いすることにしました。
『RSウイルス』や『肺炎』で入院という話はよく聞きますが、『ヒトパレコウイルス』なんて聞いたことがありませんでした。
ICU!?
入院してから1日半、次男は、巻くタイプの血圧計で血圧を測ってもらっていました。
そのたびに「血圧が高いね」と言われていました。
何度測っても、いつ測っても、血圧が高い状態が続きました。
血圧が高くなりすぎる状態が続くと脳に影響が出てくるかもしれない。
そこで、小児科の先生たちで会議を開き、ICUで血圧と呼吸を24時間管理しようということになったそうです。
「ICU」と「脳に影響が出る」というというワードは、精神的に参っている状態で聞くには強すぎました・・・・。
「この子はどうなってしまうんだろう」「まだ生まれて2か月なのに、こんな大変な思いをするなんてかわいそう」と、頭の中がぐるぐると回りました。
MRIまで。
「あまりにも血圧が高い状態が続くので、MRIを撮りましょう」
ICUへうつる直前に言われました。
血圧が高く、脳への影響が心配ということで、MRIを撮るそうです。
赤ちゃんのMRI撮影には麻酔を使います。
麻酔と聞いてびっくりしましたが、全て先生に任せるしかないと思い、不安と闘いながら検査室の外で待ちました。
20~30分、MRIを撮っている間、先生がずっと息子についていてくれたことが、不安を少し和らげてくれました。
ついにICUへ。
MRIの検査が終わり、ICUへ移動することに。
ICUは24時間、看護師さんが血圧や脈などを管理してくれるので、付き添いは不要です。
しかし、高熱が下がらず、血圧も脈も不安定な我が子を病院に預けて帰宅するのは、とても勇気が必要でした。
もし、帰っている間に何かあったら・・・・。と思いましたが、付き添うことはできません。
家から市民病院まで車で10分。
その距離がとても遠く感じました。
息子は一人ICUへ。
帰宅後、長男と私にも異変が・・・・
怒涛の闘病生活3へ続く→